【メッセージ】 ”贈与の受取人は、その存在自体が、「使命」を逆向きに贈与する”(「世界は贈与でできている」より)− 新年のご挨拶に代えて
新年明けましておめでとうございます。
NPO法人 THOUSAND-PORT 代表の鈴木です。
本年もよろしくお願いします。
近年、新年のご挨拶に代えて、年末年始に読んだ本からインスパイアされたことを書いていますが、今回は年末年始に「読み直した本」、『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』近内 悠太 著 からです。
一言でいうとこの本は、
「これまでなんとなく感じていたけれど、コトバにできていなかったこと」
を、見事に言語化して誰かに届けられる状態にしてくれた本でした。
現状の市場経済を否定するのではなく、贈与と市場経済は相互補完しているといった趣旨の趣旨の主張など示唆の多い本ですが、今回はその中から2つのことをお伝えしたいと思います。
■「未来」を描くために「過去」を想像すること
例えば私は、毎年少なくない数の大学生たちと接する機会がありますが、彼らと話していると、その中の多くが異口同音に
「『何者か』になりたい。だが、何をして良いのかまだわからない」
と言います(30年前の私も勿論そう言っていました(笑))。
この言葉に対して、これまでの自分の経験則から「まずは、身近な人の役に立つことを全力でやってみたら?」と応じてきましたが、学生たちには私がそう考えるに至った「経験」が無いので、「そうですね」という気の抜けた返事が帰ってくることが多かったですし、また「その意味がわかる時が来るまでこころのどこかに残ってくれていればいい」と考えていました。
しかし、現在私達が享受している「幸福」さへの「想像力」が必要という本書の主張によって、学生たちにどう応じれば良いのかがわかったのです。
「いま、あなたがここでその様な(上位の)不安に向き合えているのはなぜだと思いますか?」と。
「現在」そしてそれを形作るに至った「過去」を「想像」もしくは「思い出す」ことは、経験のない「未来」を想像することよりは容易だと思われるからです。
・生存そのものの不安に駆られることが無いこと
・等しく教育を受けられること
・出自によらず職業選択の自由がひらかれていること
その様な状況を生み出した、無数の「アンサング・ヒーロー(=歌われることのない英雄)」たちの存在と、彼らの「自分の子供達世代にはもっと良い世の中になっていて欲しい」「自分がした苦労は若い人たちにさせたくない」もしくは、そこまで高尚では無くとも「自分ができる範囲のことを全うしよう」という祈りと想いに気づけば、「何者か」になることは目的ではなく結果であることに気づくはず。そして、後に「何者かがいてくれたからと気づかれるかもしれない人」として今在ることの尊さ、言い換えれば、自分が主役の物語を生きることだけが自己実現ではないとを知ることができるのではないか、と。
■「世界を変える」という言葉が持つ違和感の正体
「世界を変える」というフレーズ。
このフレーズにずっと違和感を感じていました。
人や社会は「変わらなくてはならない」のは事実だと思いますし、その結果として現在の人類の繁栄があるのも間違いないと思います。 ただ、この「世界を変える」という言葉を裏返すと「変わろうとしない人は価値がない(もっと言えば、「罪」である)」とも聞こえていたこと、それが違和感の正体だということに、この本を読んで気づいたのです。
世の中は「社会を変える人」と「変えられない人」に分断されているわけではなありません。
上述のアンサング・ヒーローによる、ともすれば「現状維持すら難しい」社会を、「崩壊させない」もしくは「より悪かった過去へ戻さない」という不断の努力があるからこそ、「変える」人たちの足がかりがうまれ、「変える」ことに全力でエネルギーを注げるのではないでしょうか。
そしてそれが、タイトルに引用した”贈与の受取人は、その存在自体が、「使命」を逆向きに贈与する” ことの意味ではないかと思えるのです。
「世界を変え」ていく、眩しく輝く「何者か」。でも、そんな彼らの使命ややりがいは、その他大勢のアンサング・ヒーロー、つまり決して強く輝くわけではなく目を凝らさないと見えない「地上の星」たちこそが、与えてもいるのです。
2021年も、THOUSAND-PORTは地上の星達がそのことを自覚し、一つでも多く輝ける機会を提供していきます。
それが、理想主義的な現実主義者の使命と信じて。