【メッセージ】”過ちを認められる空気をつくること”(「ファクトフルネス」より)− 新年のご挨拶に代えて
新年明けましておめでとうございます。 NPO法人 THOUSAND-PORT 代表の鈴木です。 本年もよろしくお願いします。
近年の恒例?ともなりましたが、ことしも新年のご挨拶に代えて、年末年始に読んだ本からインスパイアされたことを書きたいと思います。 今年は、「あの」ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」と、ハンス・ロスリングの「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」(*以下「ファクトフルネス」)です。 (写真はこのメッセージのタイトルをイメージしながらブロックでつくったものです)
この2冊の作者はそれぞれ歴史学者と、医師であり公衆衛生学者というバックグラウンドの全く違う二人ですが、史実やデータを丹念にあたってこれから何がおきうるかを予測したうえで、それを回避する方法を考えよ、という「祈り」にも似た共通のメッセージが込められています。
「ホモ・デウス」では「無用者階級」などのフレーズが煽り文句的にマスコミなどでは取り上げられており、実際、膨大な歴史研究に基づく、訪れるかも知れないディストピアの未来予想がそこではなされてはいますが、著者は繰り返し、その予想の意図は「未来を変えるため」であるという趣旨のことを言葉を変えて述べています。例えば以下の様なフレーズです
”予測を立てても、それで何一つ変えられないとしたら、どんな意味があるというのか”
”本書で概説した筋書きはみな、予言ではなく可能性として捉えるべきだ。こうした可能性のなかに気に入らないものがあるなら、その可能性を実現させないように、ぜひ従来とは違う形で考えて行動してほしい”
一方の「ファクトフルネス」では、著者の過去の医療活動におけるデータ分析による気付きや、「常識」を覆すような発見のエピソードが語られます。その中で彼は未来を変えるための行動をすべきと力強く言いながらも、
”恐れを煽るのはいやなのだ”
と言います。
メディアやではどうしても刺激的なフレーズやコピーで”恐れを煽る”マーケティング”をしがちですが、警鐘は鳴らしつつも、「複雑な問題を複雑なまま捉え」たうえで、「一緒に考えましょう」というスタンスには誠実さを覚えます。
しかし、残念なのは、その「一緒に考えましょう」というメッセージどころか、”恐れを煽る”情報すら、キャッチできていない若者が高等教育機関である大学にも大勢いることです。
これは(日本の)教育制度の敗北を意味しているかも知れません。全く見たことのない「過去と地続きではない世界」の担い手を育成するのが、既存の工場労働者や兵隊を育成するために発明された一斉授業では用をなさないのはむしろ当然なのでしょう(そして「ファクトフルネス」では世界の基本的な事実に対しての 正答率が、専門家や学歴が高い人、社会的な地位のある人ほど低いことを「データ」で示しています)。
ですが、「希望」もあります。それは彼ら若い世代の「しなやかさ」です。 「ファクトフルネス」の訳者のあとがきに、”ファクトフルな生活”によって、他者の意見や情報を批判的に捉えつながらも、それ以上に”自分自身を批判的に見”ることの大切さを示していますが、まさに今の若い彼らは(も)”ファクト”さえ手に入れると、自身の信じてきたこと、思い込み、想像していた未来が唯一の正解ではないことに一瞬で理解し、自ら方向修正をし、早々にその為のアクションを起こしていきます(講義のリフレクションシートなどを読ませてもらうとそのしなやかさに驚くとともに安心します)。
せっかくこれだけのしなやかさを持っている若者がいるにもかかわらず、ファクトを知らないだけで、貴重な時間を無駄にしている彼らを「誰一人取り残さない」為には、「自己責任」の議論に回収させず、同じく「ファクトフルネス」の訳者あとがきにある、”誰もが「自分が本能に支配されていた」と過ちを認められる空気をつくること”が、私達の責任なのだと感じています。
今年も皆さんと一緒に「過去と地続きではない世界」を冒険できることを楽しみにしています。 ハンス・ロスリングの言うように、”バトンを受け取り、ゴールに駆け込み、ガッツポ ーズを取るのは 、次の世代だ”と信じて。