新年明けましておめでとうございます。
NPO法人 THOUSAND-PORT 代表の鈴木です。
本年もよろしくお願いします。

ここ最近、年始の挨拶には年末年始に読んだ本にインスパイアされたことを書いていますが、
今年はケヴィン・ケリーの「<インターネット>の次に来るもの」からです。

タイトルの、
”その新しい仕事が、我々自身を拡張していく”
とは、作中で挙げられている12の<なっていく> のうち、COGNIFYING の章の
最後に書かれているフレーズの一部です。

まず、この COGNIFYING ですが、COGNIFY の現在進行系(〜ing)を表しています。
が、この COGNIFY 自体が彼の造語の様で、適切な日本語訳はまだ無い様ですが、
主にロボットやAIが『より賢い』状態に到達する(プロセス)ことと読み取れます。

この章では ロボットやAIが社会に蹂躙する(危機感を煽るような)ディズトピア的な
未来予想図とは真逆の、「人間がより人間らしく生き、働く」社会を描いています。
例えば、自動運転車の普及に際し大きな議論となっている「倫理」の課題
(所謂、トロッコ問題に代表される道徳的ジレンマ)を ”コグニファイした倫理” が
解決する、であったり、卑近な例だと ”コグニファイした洗濯” では、衣料が
洗濯機に対して(そもそも「洗濯機」ではない「何か」に対してかもしれませんが)
最適な洗濯の指示を出す、などです。

彼はこのように述べた上で、
“ロボットのおかげで、われわれはもっと人間らしい仕事に集中できる”
と結論し、その帰結として冒頭のフレーズがあります。
そして、この COGNIFYING は我々の想像を遥かに超えるスピード(WEBのBITが増加するような)
で進行しています。
「食べるために働く」「死ななないために働く」ことから開放された社会で
私たちは「現在」からは想像もつかない”拡張”された自分に出会うことが出来るかもしれません。

これを、「新年の挨拶」の文脈で解釈すると、
(「キャリアデザイン」では定番の)目指すべき「5年後の自分」や「10年後の自分」
実現の為に、アクションプランを考える、という行為は最早意味を持たないどころか、
「現在の自分」が想像できる「5年後の自分」や「10年後の自分」は、
「明日の自分」が想像できる「5年後の自分」や「10年後の自分」より大幅に劣化している
可能性があり、目標を立てて、その為のアクションプランを着実にこなすことが、
『成長の伸びしろを狭くする』リスクが有る(もしくは「呪縛」になる)ということです。

というわけで、私は前職を辞めてNPOに専従してから「5年後の自分」や「10年後の自分」
を考えることを敢えてしていません。
一つ言えるのは5年前の自分に今の自分は想像できなかっただろう、ということです。

そんな私が昨年末レゴブロックでつくった「2020年の私」が、上の写真です。
これは、「このようにつくろう」という明確な意図を持ってつくったのではなく、
私の「手」が赴くままに創り出した「BEING」です。
これが意味するものは「2018年の私」にはわかりませんが、「2020年の私」には
わかることでしょう。

とは言え、「5年後の自分」や「10年後の自分」を考えることを否定する訳ではありません。
考えてもいいが、『ガイドライン』程度に位置づけて、縛られないようにされた方が
自身の可能性をより拡張できると可能性が拡がるのではないでしょうか。
今年も皆さんと一緒に「過去と地続きではない世界」を冒険できることを楽しみにしています。