ボンジュール!

プロボノ・スタッフの竹内です。
僕はこの2月から、私用でパリに来ています。
少なくとも一年はこちらにいる予定でして、一旦THOUSAND-PORT(以下TP)から離れることになりました。
今日は、これまで約二年ほど関わってきたなかで、僕なりのテーマであった「デザインと教育」について簡単にまとめたいと思います。

デザインと教育は双子?

僕がTPに関わるようになったそもそものキッカケは、「デザインを、商業利用だけでなくもっと公益なもの・次代のために使いたい」という想いからでした。
普段、商品の購買意欲促進の為や利用方法の説明に使われることの多いグラフィックデザインの技術を、もっともっと教育の分野に使われれば、理解や意欲を促進させ、“教育を加速”できるのではと思ったのです。
さらに、自分が主軸とする「アイデンティティ・デザイン」と、TPの掲げる「動機ある若者を共育する」という理念の、どこか奥底の光り輝くナニかを見つける感じが似ているなーと思い、「デザインと教育は双子のような相似性がある」という考えを、いつからか抱いてきました。

狭義のデザインと教育

では具体的に、デザインに教育はどう活かせられるのか・どう相似性があるのか、を僕なりの知見で述べたいと思います。
まず、デザインには広義のデザインと狭義のデザインがあると思っています。
広義については後述するとして、一般的かと思われる狭義のデザインについてです。
狭義のデザインは、ずばり見た目です。
デザインと聞いて、見た目をカッコよくすることをイメージされる方も多いと思います。
具体的に、TPで行われるワークショップ(以下WS ≒アクティブ・ラーニング)でイメージしてみましょう。
参加者は高校生です。お昼食べた後です。
もう完全に眠い時間ですね。
ここで手元資料が渡されたとします。
その資料が文字しかありません!
この時点で高校生のHP(ヒットポイント)はすでに半分くらいになっていると思われます。
でも、もしこのときにビジュアルの活かした資料が渡されたら、ちょっと見る気になりませんか?
つまりそーいうことです。

体が勝手に動く設計

ではいよいよWSです。
最初に説明と理解の段階があるとします。
意識高い系の生徒なら前のめりでしょうが、おそらく多くの生徒の背中は背もたれに接しています。
“頭で考えてから行動に移す”のは、結構だるいのです。
スマホがあるとします。もし説明書を先に読んで、それから操作するようなことは絶対ありませんよね?
逆です。最初になんらかしらのアクション(さわる)があって、初めて理解する(意欲がうまれる)のです。
さらに言えば、スマホには説明書がありませんよね?
WSにも説明がないくらいがいいと思っています。それこそ、スマホをスルスルと操作していくように、“体が勝手に動く”くらいのWS設計がされているといいと思います。
もちろん、単純に“作業”をして欲しいわけではありません。
しかし、最初に作業をすることでその意味と楽しさを知る余地はあるのではないでしょうか。
このへんは、グラフィックデザインというより、UX(ユーザー・エクスペリエンス)デザインなどが親密な気がします。

広義のデザインとの相似性

TPでは、“動機ある若者を共育する”を掲げています。単に知識を与えるのではなく、自分自身の人生に主体的に向き合い、社会との不可分な関係性のなかで自分自身をどう“活きる”か、を見つけてもらえるようなキッカケづくりをしています。
広義のデザインは、“ある目的のもと、意図・計画・試行し、美的感覚をもって実行すること”です。
自分自身の生きる目的をみつけ、そのための計画と行動を繰り返し、“美しく”生きることを教育とするなら、この2つにはそこはかとない相似性があると思われるのです。
この“動機をみつける”感覚が、僕はデザインにおいて、特に僕が専門とするアイデンティティ・デザインに似ているなぁと以前から感じていました。
動機をみつける、ということは、いわば個人のアイデンティティをみつけることに等しいと思うからです。
残念ながら、現時点ではこれ以上のことはまだ僕にもわかりません。
しかし、いつの日かイタリアのレッジョ・エミリア(イタリアの、アートによる幼少期の教育)のように、デザインを駆使した教育メソッドが花開いたらと思います。
それでは!